斎藤雅樹はとんでもなく凄かった。人のいい気弱な若者が遂げた変身。426試合 180勝 96敗 11S 2.77

転載元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1588000274/

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1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/04/28(火) 00:11:14.60 ID:NGkanHQI9
その男は万年トレード候補だった。

1986年オフ、パ・リーグで2年連続三冠王に輝いたロッテの主砲・落合博満の巨人移籍が連日報道されていた。
まだ日本球界にFA制度が存在しなかった時代、ストーブリーグの話題と言えば大型トレードネタである。

結局、落合の移籍は12月23日午後10時過ぎに球団から発表され、トレード相手は巨人ではなく新監督・星野仙一の執念の巻き返しで逆転した中日だった。その夜、落合の中日入団会見はテレビ朝日系『ニュースステーション』で緊急生中継。

それをブラウン管の向こう側でかじりつくように見ていた21歳の巨人若手投手の談話が、当時の報知新聞に掲載されている。

「トレード要員として、ボクの名前が出てきたでしょ。ある新聞で『もし行けと言われたら? 』と聞かれて『仕方ないでしょう』と答えたら『移籍OK』みたいに書かれてしまった。あれはマイッタですよ。
両親も『決まったら決まったで仕方ないよ』と変ななぐさめ方をするし……」

まるで合コンでしくじったさえない大学生のようなコメントだが、そんな人のいい気弱な若者が、のちに“平成の大エース”と呼ばれる斎藤雅樹である。

平成前半の斎藤はとんでもなかった。

通算180勝96敗、防御率2.77。個人的にこれまでリアルタイムで見てきた中では歴代ナンバーワン投手だ。145キロ超えの直球とキレキレのカーブを武器にする本格派サイドスロー。

とにかく平成前半の斎藤はとんでもなく凄かった。

なにせ’89年から’96年の8シーズンで、沢村賞3度(史上最多タイ)、最多勝5度(スタルヒンに次いで歴代2位)、最優秀防御率3度、最高勝率3度、最多奪三振1度、3年連続開幕戦完封を記録。
仮に10年遅く生まれていたらメジャー球団の大争奪戦になっていた可能性が高いが、時代の変わり目の日本球界でひたすら勝ち星を積み重ねた。

三本柱は桑田、槙原、水野だった?

そんな平成の大エースも決して順風満帆なキャリアではなかった。’83年にあの甲子園のアイドル荒木大輔の外れ1位指名でプロ入りすると、一時は打撃センスを評価され遊撃手育成プランもあったが、藤田元司監督の助言でサイドスロー転向。

3年目の’85年に12勝を挙げるも、その後は7勝、0勝、6勝と伸び悩み、右ヒジ痛も抱え前述の通りトレード候補に。あだ名は、同姓の欽ちゃんファミリー斎藤清六にちなんで“セイロク”。食うか食われるかのプロの世界において優しさは時に足枷になる。

絶対的エース江川卓が引退した直後の巨人の次世代三本柱と言えば、桑田真澄、槙原寛己、そして水野雄仁。いわば、ファンから見た斎藤の印象は、どこかもどかしさすら感じる、いまいちハングリーさが足りない「同世代の出世レースに乗り遅れた男」だった。

しかし、だ。斎藤の運命は’89年から藤田監督が巨人に帰ってきたことにより大きく変わる。復帰1年目のシーズン、藤田は前年6勝の背番号41を開幕2戦目に先発起用したのだ。
ヤクルトに1点リードされて迎えた7回裏、打順が斎藤に回り誰もが交代と思ったが、ベンチはあえて代打を送らずそのまま打席に立たせた。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200427-00843309-number-base
4/27(月) 11:41配信

http://npb.jp/bis/players/81583869.html
成績


1994 斉藤雅樹 1 開幕戦完封勝利


斎藤雅樹11試合連続完投勝利(1989.7.15 G+)

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Source: なんじぇいスタジアム

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